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No Me Arrepiento De Este Amor.

俺達は何故生きている?痛みに耐えるだけのために?

言語化・論理的思考

自分の言葉で思考を語る力が弱まっている。それは適応過程でもあるけど、危機感を持つ。論理的思考が以前より疎かになっている。

語ること、開示することはリスクを孕んでいる。印象形成や評価に必ずしもメリットがある訳じゃない。でも、苦しまない範囲で論理的に考えないと、意味や意義が無い。生きることが目的の生活は(僕の場合)虚しい。

論理的思考が低下して、必要以上に諦めて、能力が落ちていく。
だから、語らないと。

でも、“丁度良く”が難しい。多分生まれつき難しい。いや、生まれつき難しいとしても、生まれつき難しいものだと思い過ぎることで可能性を制限していることも事実あるだろうけど。

適応は手段であって目的じゃない。ナアナアで生きて行くことを俺は求めていない。論理的思考を働かせ、意味の世界に生きる。
そのためには、一辺倒の理念やスキーマ、ポリシーではなく、常に認知→判断→行動をしていなければならない。
自我を維持していなければならない。

丁度良く、それが最大のテーマ、課題。ケーススタディ
その程度のことが、最大のテーマ。
全く、情けない。
承認欲求がどうだこうだ自己実現がどうだ言われるが、誰かのために存在意義のある自分で居なければ、居続けなければ、わざわざこんなくだらない世界に苦労して居る必要は無い。


今夜は久しぶりに長文を紡いだけども、やっぱり上手く語れない。言語化能力の低下には、落ち込むばかりである。