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No Me Arrepiento De Este Amor.

俺達は何故生きている?痛みに耐えるだけのために?

承認欲求

人何らかの形で認められることでようやっと自身の存在意義や価値を維持する人々が少なくないことを多く感じる。

 

そして、僕もまた、その一人である。

今日、公式戦だった。自動思考から距離を取り、落ち着いて客観的な認知を少しでも取り戻した今日は、健康的だった。

 

木曜の最終練習、怪我を抱えながらも、先発組に組み入れられた筆者。右足首の怪我は気になるし、パフォーマンスに影響が出ているものの、指名されたからにはやらなければ、と思い、紅白戦出場。今思えば、この時に監督に「自分が試合に出るのは無理だ」と直訴して木曜の段階で変えてもらえばよかったが、それは出来ず(様々な心理が複雑に絡み合い先発組での出場を拒否できなかったのであろう)、出て、立ち上がりで失点をしないことをテーマに臨んだにもかかわらず、完全に自分の怪我の悪化や痛みを恐れたことでの立て続けの失点、そして恫喝、交代。

 

自分としては、やってみてダメなら、監督が変えるだろう、だからやれるだけやってみよう、という心境だったが、兎にも角にも、その日の結果はロクでもないものに。そして…

 

自責の念に駆られ、自我を失い、気分も落ちる、と。更に“いつのまにか“自己開示。全くアホらし。

 

迎えた今日の公式戦は、なんとベンチ外。代えの効くゴレイロがいないにも関わらずベンチ外。これには次の試合自分しか出場出来るゴレイロがいないから、確実に僕の足を守るため、という意図も勿論あるだろうが、おそらくそれだけではないだろう。

 

基本的信頼を失ったのである。ゴレイロとして、フットサル選手として、ではなく、人として信頼を失った(何かウソをついたり不正行為をしたわけではないが、にもかかわらず、根底の信頼を失ったのだ。)。

 

単純に所属団体や社会へ迷惑になっていることが先ず申し訳ないが、承認欲求を満たせないような事態になってしまい、混迷した。


もう、どうすれば良いのかわからない。決して言葉で命令なんて誰も出さないが、俺は存在して良いのか?と。

 

自分で自分にOKを出してそれで完結できれば。

 

援助相手へのメッセージであると同時に、自分自身に対する問いかけである。

 

さあ、どうしよう?

 

コミュニティから、社会から、世界から失せるべき。それが実際最も手っ取り早く、他者と自分が救われる方法なのである。


ともかく完勝できて本当によかった。しかし同時に、自分の価値を揺さぶる1日であった。それでも昔より揺さぶられず、安定感は増している。これは一見成長や適応に見えて、退化ではないだろうか。

 

“何事”も恐れるな。行くも逝くも選択するのは自分。

 

愛する所属があるからこそ。先ずそれが幸せである。だからこそ、だ。

 

くたばれ承認欲求。