北中米W杯ファイナルまで数時間、ソーシャルフットボール関東大会直後の今、改めてフットボールを考察したい。
フットボールと競技性・闘争性は、切っても切り離せない。
私がこれまでプレーしてきた、或いはコーチしてきたフットボール現場は、連盟やJFAの管轄下にある公式戦があるものだも、少年団に始まり、中体連、高体連、ユースクラブチーム、一般カテゴリ・社会人都県各リーグまで。
JFA管轄公式戦外で言えば、児童期や思春期の、休み時間や放課後の友達とやるボール蹴り、Jリーグのサポーター仲間でやるフットサル、贔屓のクラブサポーター対抗のフットサル、知的障害者サッカー・フットサル、精神障害者フットサル、有志で出るワンデイフットサル大会や練習試合、フットサル施設の個人参加フットサル、競技志向をうたう個人参加フットサル会その他
だいたいこれくらいだろうか。これらにも、男性カテゴリだけでなく、女性カテゴリへの参与も含まれる。
これらには、スペクトラム上ではあるものの、例外なく競技性がある。
スポーツ特性上、相手のゴールにボールを入れようとする、そしてそれを阻止するというメカニズム上それは殆ど避けられない。
スタジアムのスタンドにいる人間としてで言えば、Jリーグ・Fリーグ・JFLから、ナショナルチーム公式戦まで。Jリーグクラブの下部組織同士の対決も何度も観ている。
そのどこにも、競技性はあった。
これらは、エンターテインメントのつもりでいても、必ず闘争性が生じる。コンタクトスポーツで、集団競技であり、わかりやすい、そして国内或いは世界中に、その単純明快さから普及していることもあって、そこには民族性や野生性・イドが乗っかる。暴力性も乗っかる。それは非常にアディクティブだ。
そうすると、放置しておけば、競技性は過激化、闘争性を強く表す者への抑制も効かなくなる。
そのアディクティブさこそ、フットボールの魅力であり、たかがタマケリ、ボールの移動という事象に過ぎない筈が、とんでもない喜怒哀楽が伴う、唯一無二と言っても良いくらい、その熱狂と冷静性の喪失は凄まじい。他のスポーツ、競技会でも、ここまで熱狂的で、普及度の高いものはない。
極めて大きな喜怒哀楽、暴力性、闘争本能、依存性を考えると、その副作用には一定のコントロール性と介入が求められる。プロフェッショナルのプレーヤー・指導者は、100%に近い競技性があっても仕方ない。仕事であり、競技性を極限まで追求すること自体がそもそも目的であるから。しかしながら、プロ以外は、この副作用を統制しなければ、フットボールが人生を豊かにする手段であることを見失なう。すると、対人関係の悪化、他者への心的・身体的外傷の付与、本職業や家庭、他プライベートの軽視など、数多くの損失が生まれる。
私は競技界の中では底辺に近いものの、曲がりなりにも、都県リーグレベルの公式戦に出、元JリーガーやA代表・世代別ナショナルチーム選出経験者、Fリーガーなどと蹴ったことも一度や二度ではなくある。そのような私が、遊びと割り切って、Jリーグクラブサポーターの集まりや、個人参加、中学校部活動、障害者分野などのフットボールに、温かい緩やかな気持ちで参加しても、ほぼ例外なく、そこにはマクロな視点で言えば、収入源ではなく遊びとしてやっているフットボールなのに、自分の感情のメタ認知が欠け、超自我を見失ったプレーヤーはいる。そこで起こるのは、序列的・カースト的現象と、楽しめている人間と楽しめていない人間の両方が生じる。楽しめていないだけならまだしも、心的・身体的外傷まで起きている。暴動・暴言も多く目にしてきた。これにプロ・アマフットボール関係者はどこまで問題意識を持っているだろうか。とりわけ、フットボールを収入源としている人々は、これをどう考えているのだろう?
エンジョイ志向という概念はあるものの、それは曖昧で境界がない。それでもこのスポーツのシステム上、どのカテゴリでも、一定の競技化は免れない。だからこそ、そこに全てのプレーヤー・コーチは自覚的である必要がある。それこそが過熱化をある程度抑止する。
このようなことを述べながら、フットボールへのアディクション(依存)を最も起こしているのは、他ならぬ私。競技レベルの選手を37歳まで続け、本職に影響を及ぼすレベルの大怪我で、ピッチ強制退場を余儀なくされた今も、競技現場で、収入もないのに指導者として関わり、一般カテゴリでは飽き足らず複数の障害者フットボールにも関わり、今尚スタジアムのゴール裏やクルヴァ、ウルトラス文化に興味は尽きない。
副作用と向き合い、生物学レベルでアディクティブな快楽からは少しずつ距離を取り始めているものの、それでもフットボールにこだわる私は、実は最も病理が深いかもしれない。この先研究・論文執筆のためのフィールドにフットボールを選ぶ可能性すらある。全く、どこまで好きなんだ(笑)。
本物のフットボール依存者である私はだからこそ、その副作用を見つめ、向き合い、より向社会的なものに更に昇華できるよう、自分にできることを考えたい。フットボーラーとしての、サクセスフルエイジングを。
ちょうど士資格を取得する前くらいまで、競技界でプレーヤーとして生きてきたが、資格取得後くらいから、離脱を考え始めた。本職の負荷と加齢もあり、離脱と向き合わなければなくなっていった。その頃期せずして、沖縄旅行が趣味になった。その影響もあり、スキューバダイビングというアクティビティを知った。また、ルールも詳しくないのに酒の片手間くらいに軽いスタンスで見て雰囲気を楽しめる、ベースボールのスタジアムを知った。これらは明らかに自分のフットボール観を変えた。
こんなフットボール依存性者である私が過熱的な他フットボーラーを冷笑するなんてあり得ないが、誤解を恐れずに言えば自分自身をも対象にして過熱者に対して「ムキになんなよ、本気になんなよ」とでも言おうか。いやぁ、フットボールってほんと楽しいんだけどねぇ。だけど、法で定められていないだけで、依存性は相当高い対象であるのはもはや言わずもがな。酒、ギャンブル、セックス、ドラッグと差異は無い或いはより強いかもしれない。一応臨床心理学を系統的・学術的に学び研究実績も(カス程度には)あり、社会学的な物の見方を好む私は考える。






