過去の記事を読んでいただければわかるが、これを成し遂げるのは、半分は、奇跡でしょう。その奇跡には、僕を支えてくれる友人や先輩や様々な各所の同士やフットボーラーの皆さんのお陰が含まれています。半分は、私の持つ、この職業や使命への愛と意志と運、によって成し遂げられたものだと思います。
遂に、ついに、本当に所属する学校がなくなってしまった。今でも孤独感は感じるが、同時に教育機関に護られている感覚もある。しかし、恐らく最後となる計21年もの小学校から大学院修士までの学校生活が終焉するのは、全く違う世界へ踏み出さざるを得ないということだろう。
喜ぶべきことだが、恐怖が大きく上回る。通用しない可能性をそれなりにリアルに想定でき、苦しい。しかも、それを考えなくとも、僕は、
対人関係トラブルを主なきっかけとし、今、抑うつ不安被害妄想エネルギー低下睡眠障害が止まらない。酒の量も増えた。過食で体重もついにあのダイエットで減らした分をほぼプラマイゼロまで戻してしまった、1年間をかけて。
今後の所属が決まってない今、今こそ、人生を終わりにしようか、と思ったりする。比較的都合が良い。
どうしようか。
自死を否定すべき理由を見出せない。
「NO SURRENDER.」も、
「Hasta La Victoria Siempre.」も、
「Keep Calm and Carry on.」も、
奮い立たせる言葉であって、言い聞かせるように繰り返したが、それらの力も、万能では無い。腑抜けて聞こえることもある。
希死念慮についても専門に学ぶ臨床心理学を修了しながら、それが5年、多少増減あれど、全く無くならないのは、やはり重症なのだろう。
アーレフやオウムみたいに、この世界を全て壊してしまえば良い、とは考えないが、大した苦しみもなくサクッと、全面核戦争?なんかで全人類自分を含めて確実に殺してくれるなら、是非お願いしたいとすら思う。
決して他人の決定権や人権を奪うことが良いとは思えないことだけは、ちゃんと記しておきますけどね。
兎に角オレは、要は死んで救われたいってことです。
大学院修了、もっと歓喜や感動や感慨深さばかりだと思ってたのに。。
やっぱりオレは、死にたい。