傾聴力×発信力
クリニカル・サイコロジストとは、ケアラー・セラピストに合わせトーカーでなくてはならないのではないかと感じるようになっている。
サリヴァンの言う「関与しながらの観察」
の最高形がこれなのではないか。
多少派手な表現かもしれないけども。
アウトプットさせて頂く経験、
それを一定のリスペクトをしてくださる多くの方々、
己の臨床力へ繋げるしか無い。
人生への嫌疑、
フットボールという宗教
学校制度や物理的・心理的暴力への反発
思春期・青年期に出逢ったソウルメイト
偉大なセラピストとの出逢い
自己中心的な世への絶望
自らの暴力性との戦い
自らを受け入れられないことで常に渇いた虚無感と無価値感
先従隗始
自らの特性や生い立ちとの戦争・受容・アイデンティティ
何度もぶつかる自らの無能さ
それでも泥水飲みながら立ち上がり縋り付く
これらは傾聴・解釈のためにある。