No Me Arrepiento De Este Amor.

俺達は何故生きている?痛みに耐えるだけのために?

古舘伊知郎×カール・ランザム・ロジャース

傾聴力×発信力

 

クリニカル・サイコロジストとは、ケアラー・セラピストに合わせトーカーでなくてはならないのではないかと感じるようになっている。

 

サリヴァンの言う「関与しながらの観察」

 

の最高形がこれなのではないか。

 

多少派手な表現かもしれないけども。

 

アウトプットさせて頂く経験、

 

それを一定のリスペクトをしてくださる多くの方々、

 

己の臨床力へ繋げるしか無い。

 

人生への嫌疑、

 

フットボールという宗教

 

学校制度や物理的・心理的暴力への反発

 

思春期・青年期に出逢ったソウルメイト

 

偉大なセラピストとの出逢い

 

自己中心的な世への絶望

 

自らの暴力性との戦い

 

自らを受け入れられないことで常に渇いた虚無感と無価値感

 

先従隗始

 

自らの特性や生い立ちとの戦争・受容・アイデンティティ

 

何度もぶつかる自らの無能さ

 

それでも泥水飲みながら立ち上がり縋り付く

 

 

 

これらは傾聴・解釈のためにある。