今日は、いや昨日は、
13時まで寝、起きて鬱々とする前にシャワーを浴び、兎に角外に出た。宛も無いのに、一泊はできる荷物を背負って。
何の意味もなく、都内のビジネスホテルへ泊まった。
これと言って楽しさや幸せは無い。
ただただ、今日も虚しい。
思春期ー
この頃から露骨にアウトローへと踏み出したのだろう。勿論分かりやすい非行などは行わなかったし、極端な成績不振も無く、不登校傾向もなかったから、適当に扱われていたが、フットボールでの狂った感覚を相変わらず誰にも相談することが出来なくて、幻滅していたし希望を失っていた。かろうじてフットボールへのモチベーションは閉ざすことはなかったが(この歳で閉ざしたら間違いなくプロ選手にはならなくなるから、駆られるような思いでいた)、他の学校生活、学習には動機付けなんてまっさらだった。
成績評定は平均オール3を下回る体たらく。
教員、両親、親戚その他様々な人から評価は低かったし、どちらかというと嫌われていた。よく喋るところを多少買ってくれる先生はいたが、ロクでもなかった3年間だった。
様々な話を聞けば、それでも母校は世間的には恵まれている中学校だったらしい。
そんな健全で比較的平和な環境でも、僕は悩みを深めていった。
サッカー部の環境が1・2年時は崩壊していて、とてもレベルアップなんて目指せる環境ではなかった。本当に、苦しく何ともし難い仕打ちだった。最も大切なのはフットボールなのに。部活の先輩は威張ることと暴力ばかりであった。顧問は、大して向き合おうともしなかった。
学習もままならず、それでも無理矢理有名進学塾には通わされていた。教育にカネをかけてくれることは世間的には感謝をしなければならないことなのに、発達傾向の偏ったねじ曲がった人となりの僕には、不幸であった。
よく、偏差値64の私立高校には受かったと思う。まあ、高校入学後の学習不振はさらに輪をかけてひどくなったのだが。
ただ、後に人生で最も大切な親友とすら言える存在との出会いはこの思春期に中学校にてであった。今は亡き者、行方不明の者、堅実に働き家族を設けている者…
もしもう一度思春期をやり直せと言われたら、私は迷わず、タイミングを見計らい線路へダイブしますね。
恋愛は何度かしていたが、あれすらも、フットボールによる混迷を紛らわすための悪あがきでしかなかったなと、今となっては思う。そして、その体験もその後へ大きな影響をあたえることとなった。まさかこんなことになるとは、この時には思いもしなかった。
思春期で「人から好かれない駄目な子」であるという認識は、更に深まったのである。
この頃自殺するチャンスは…流石になかったかな。
その当時リアルタイムで起きたことでは無いけれども、中学生期の同級生に少なくとも二人、自殺者がいる、なんて、ね。
どういう運命であろう。
暗澹たる思春期ー。